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 メダカの兄貴分
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めだか通信
第3回 六月
メダカの兄貴分


 今年もゴールデンウィークが駆け去っていった。お茶の産地では新茶に追われる毎日であったことだろう。畠での採摘と製茶から品質をみる試飲やランク付けなどなど。

 そこで今年も吾がメダカ・スクールは宇治へ就学旅行・・・「覆下茶園<おおいしたちゃえん>」の見学をしてきた(書きかけた「めだか通信」の原稿を打ち捨てて・・・だから4〜5月はお休みでした)。

 今年は新芽の成長期に雨が少なく、全国的にみても上質茶の出来が思わしくなかったようである。煎茶・玉露においては「新茶」が、特にその独特の香りがもてはやされ今日に至っているのだが、こと「抹茶(碾茶<てんちゃ>)」の世界では、江戸の初期頃から新茶を喜んで口にすることが廃れてきたようである。

 碾茶においてもその保存方法は「茶壷<ちゃつぼ>」に詰めて涼しいところに保管したのであるが、「新茶口切り」といって、茶園に注文して出来たての新茶を茶壷に詰めて取寄せ、その到来を待って茶会を開き、茶壷の封を切り、新茶の香りと風味を楽しむということが盛んだった時期があるようである。

 その頃の「抹茶(碾茶)」の製法(工程)を、当時の職人絵図などから推察すると、明治・大正のころに行なわれていたものと左程変わらないのであるが、機械化された今日の製茶の現場とは、格段の違いがあるようだ。

 時代を経ても、工程そのものは、大体に於いてかわらない。 しかし、かつては人の手に頼っていたそれぞれの工程を機械化する技術革新により、生まれてくるお茶(碾茶)の品質には大きな変化があった。

 製茶工程の機械化・オートメ化により、品質の向上が計られたということは言うに及ぶまいが、それは、より鮮やかな色と香りを発すること、より旨味を多く感ぜられることを目的として進められたようである。

 今日「御茶」の味を考える時、茶園(茶畠)での管理技術が8割りがた、あるいはそれ以上の割合で味を決定付けるようである。

  碾茶における覆い技術は、桃山時代には普及している。とはいっても宇治等の碾茶に限られるらしい。また煎茶の飲み方は、中国は明代の末期、日本では江戸に入ってからの伝来とされている。抹茶については、鎌倉時代にその製法が伝来したとされるが、伝来した当時の製法が、どのようなものであり、その後いつ頃から抹茶としての覆い技術が展開されたのかについては、知りたい所ではあるが、現在のところ定説はないようである。

 わが国における植物としての「茶」の木の存在は、縄文の頃の「茶の種子」が発見されているが、それがどのような経緯で日本に持ち込まれたのか詳細には検証されていないようだ。

  今日良く知られている茶樹の品種、例えば、「やぶきた種」などは、昭和の時代になって改良発明された品種であり、それまでのものを「在来種」または「雑種」として区別する。

  かつて「茶樹は古木になる程良い御茶が採れるもの」とか、「八十八夜の前10日に摘んだものを「初昔」といい濃茶<こいちゃ>用とし、その後10日に摘んだものを「後昔」といい薄茶<うすちゃ>に用いる。碾茶に摘むのはその21日目からだから、茶銘には「昔」と書くのだ」といったことを教えられてきた。

 しかし今日の茶樹は、挿し木で苗を増やし品種の特性を安定させるため 、苗床で3年、定植して4〜7年、茶畠に導入を決めてから、トータルして10年〜20年あたりのものが最良とされる。教えられてきたように古ければ良いというわけではない。あまり古くなると茶樹の先祖帰りが出てきて質が不安定になる。そのため、抜根して新たな若い苗と入れ替えるのだそうである。

 また毎年新芽の発芽を見てから覆いをはじめ、その成長具合を見て採摘する。 そのため機械的に一律にどうこうすることは出来ない。現在でも、碾茶・玉露用については、宇治ではほとんど手摘みである。また、日本列島は細長いので、暦上の八十八夜を一律に当てはめるわけにもいかない。つまり、土地土地に合わせ、またその年の育ち具合に合わせ、人間がいろいろと面倒みなくてはならないのであって、機械化というのはすすんでも進みきるわけではない。

 さて、話がだいぶそれたので新茶の話に戻そう。

 今日、茶壷の「口切」は11月と相場が決まっているようであるが、かつては「新茶口切」ということも行われていたと言う話である。その理由が碾茶の製法技術の革新によるのか、単に一夏壷の中で寝かせた方がおいしくなって飲めると昔の人が考えたということなのか、それは我らめだか連の知るところではない。ただ、茶壷の中での後熟は、新茶のもつ鋭さを取り除き、のどごしを良くするのは確かである。とは言うものの、新茶独特の風味、そして毎年微妙に変わる味を楽しむことも捨てがたい。

 今日の保存技術(冷凍・冷蔵)をもってすると、1年中、いや何年にも渡って一定の味を安定供給することが可能となった。 しかし、その代わりに「お茶」の味の変化による「季節感」というものも失ったように思える。

 季節感と言えば、今は「梅雨<つゆ>」。最近テレビでも日本語が乱れて、「入梅に入りしました」などと平然と言っている。 漢字で書いてみれば一目瞭然。梅雨入り=入梅だ。

 梅雨といえば「紫陽花」の花。お茶の世界では、「沙羅」の鼻(梅雨椿とも呼ぶが)。そして「蛍」を思い浮かべる人も多かろう。近頃、目白の椿山荘での「蛍狩り」が知られているが、あれを始めたのが、かつての椿山荘のオーナーで明治の元老、山縣有朋であることは意外と知られていない。

 暖かくなると、虫も蛙も・・・そして吾らがメダカの仲間も忙しくなってくる。だから休校もありということで、よろしく!その時は、メダカの子分や琳久先生の文章を期待しています。 (by めだかの兄貴分)



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